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★ラルカーに贈るゴシック耽美からサイバーパンクまで中毒になる書ガイド

 hydeのホラー小説好きはラルク・ファンには有名。とりわけ「モダンホラーの帝王」スティーヴン・キングの作品はほとんど読んでいるという。74年に『キャリー』でデビューし、『デッド・ゾーン』『シャイニング』など、次々とベストセラーを生んでいる有名なホラー作家だ。hydeがラルクに加入する前のバンド名「ジェルサレムズ・ロッド」は、キングの『呪われた町』から命名されているのも常識。では「ラルク好きの文芸評論家がラルカーに贈る小説は何?」ということで、ゴシック耽美からサイバーパンクまで中毒になる書をあげてもらった。

1.ゴシック耽美主義
 ラルク・ファンに贈る耽美系の書といえば、まず澁澤龍彦の著作があげられよう。澁澤はエッセイの名作や、サドの『悪徳の栄え』など数々の名翻訳で知られるフランス文学者だが、数点の小説を書き残していることをご存じだろうか? 泉鏡花文学賞を受賞した『唐草物語』以外に、『ねむり姫』『うつろ舟』などがあるが、とりわけ「エピクロスの肋骨」「犬狼都市」など初期の短編を収めた『澁澤龍彦初期小説集』がお勧めだ。「エピクロスの肋骨」は、海辺近くのサナトリウムを抜け出した男が、門衛の娘と出会い不思議な体験をする話。「犬狼都市」は、冥府の神アヌビスの子孫であるコヨーテを飼っていた女が、その子を宿すといった幻想的な物語である。
 もう1冊読んでほしいのは、遺作となった長編『高丘親王航海記』である。高丘親王は、平城天皇の皇子で、藤原薬子から天竺(インド)の話を聞かされ、67歳の865年、安展と円覚という2人の僧らと、唐の広州から海路、天竺を目指すといったストーリーだ。旅の途中で、ジュゴン、下半身が鳥の女、夢を喰らう獏、ミイラの蜜人などと遭遇し、その果てに死の影が……。高丘親王の航跡が天竺から東にそれた南海で円環を結んでおり、その死出の旅がけっしてパラダイスである天竺には至らないところが澁澤の死生観を表している。

2.ビートニクからパンク・フェミニズム文学
 澁澤が「エピクロスの肋骨」を書いたのは1956年である。50年代のアメリカではビート・ジェネレーションと呼ばれる世代が小説や詩を書いていた。このビートニクで最重要な作家はウィリアム・バロウズだろう。初期の『ジャンキー』から、文章をバラバラにカットしランダムにつなげる「カット・アップ技法」という独自の文体を駆使した60年代の『ソフトマシーン』など「カットアップ3部作」、80年代の「ウェスタン・ランド3部作」とそれぞれ大事だが、ラルク・ファンには『裸のランチ』を紹介しておこう。
 本書は、「中毒による支配」というテーマで、いくつかのエピソードをつなげ、いきなりモードが変わる小説である。要するに、多数の人物が登場し、断片的な出来事が生起するという案配なのだが、よく考えてみると音楽のCDだって4、5分の楽曲が10何曲か収録されているわけだから、『裸のランチ』にストーリーとかプロットがほとんどないからといって騒ぐ必要性はない。実際、バロウズはミュージシャンに大きな影響を与えている。パティ・スミス、ローリー・アンダーソン、サイキックTVらがそうで、バロウズの朗読をサンプリングしたCDも数多く存在する。
 このバロウズの女性版と呼ばれ、カットアップ、引用、詩を駆使した作家が、キャシー・アッカーである。ここでは『ドン・キホーテ』を紹介しておこう。主人公は中絶手術を目前に発狂した66歳の女性で、犬の聖シメオンをお供に、騎士ドン・キホーテとして世界へ旅に出る話である。アッカーがすごいのは、パンク・フェミニズムという新しい潮流を、文学に楔のごとくぶち込み、ジェンダー(社会における男/女といった性差)を切り崩した点にある。いいかえると、カットアップ技法などを使いながら、男性中心主義的な社会を乗っ取り、リミックスし、抵抗への回路を作り上げようとしたわけだ。

3.SFパラ文学とサイバーパンク
 パラ文学とは、たとえばSFや推理小説、ライトノベルのように、常に純文学の周辺に置かれてきた文学である。60〜70年代のSFにおいて最重要な作家は、J・G・バラードとP・K・ディックだということに反対はないだろう。で、ラルカーにはバラードの『クラッシュ』を紹介しておこう。主人公は作者自身をデフォルメした同姓同名の人物で、車の衝突事故の魅力に取り憑かれ、同性愛をはじめ、近親相姦、不倫など倒錯の世界にのめり込み、エロスとタナトス(死)のゲームに興じるといった話である。
 他方、サイバーパンクとは、80年代半ばにコンピューター革命から生まれた新しい思考様式や感覚を、詩的文体の中に詰め込んだSFである。代表的作家は、ウィリアム・ギブソン。手始めに読みたいのは、未来のハイテク都市である千葉シティを舞台とした『ニューロマンサー』だ。本書に出てくるものは、電子擬態をこらしたマシン、人工ホルモンを埋め込んだ人間、リアルかヴァーチャルか見分けがつかない映像網、自我をもったAI(人工知能)などである。いわばサイバースペース(電脳空間)の暗黒面を描いた作品であるが、文体はルー・リードのライブのノリで書かれたという噂もある。

4.スリップストリームとサドン・フィクション
 70年代のSFパラ文学や80年代のサイバーパンクをへて発見されたのが、主流には属さない境界領域文学、つまりブルース・スターリング名付けるところのスリップストリーム(伴流文学)である。バロウズらを元祖とし、アッカー、バラード、ギブソンらを総称してスリップストリームの作家と呼ぶことが可能であるが、現代日本の純文学系の作家でそうしたテイストを醸し出しているのが、清水アリカと中原昌也であることに異論はないだろう。清水の作品にバロウズの影響が色濃いのは、『トルネイド・アレイ』を翻訳している経緯もあるが、お勧めは「生体ラジオ人間」になる話など3編を収録した『デッドシティ・レイディオ』だ。
 他方、中原昌也の推薦書は、5頁から多くても19頁といった12の超短編からなるデビュー作『マリ&フィフィの虐殺ソングブック』である。とりわけ第4話から第6話までのつとむを主人公にした部分と、第10話と第11話のマリとプードルのフィフィをキャラにした話を読んでほしい。こうした短編よりもさらに短い作品のことをサドン・フィクション(掌編)というが、話の展開が早い点、4コママンガのようなオチ、現代詩のように言葉の集約度が高い点などが魅力である。なお中原は、かつて暴力温泉芸者として、歌謡曲やCM、TV番組などをサンプリングしたノイズ音楽で「デス渋谷系」と呼ばれて一世を風靡し、小山田圭吾のアルバムにもゲストで参加している。

5.ヴァンパイア・ノベル
 hydeがソロ名義HYDEで映画出演をしていることはラルカーの常識であろう。2003年、Gacktと共演した『MOON CHILD』では、ヴァンパイアに血を吸われて永遠の命を得てしまったケイ役、04年、矢沢あい原作『下弦の月』では、廃墟の洋館に住む謎のミュージシャンのアダム役と、HYDEらしい役柄にチャレンジしている。都市を舞台とした闇の怪物のうち、美しいけど邪悪、かつエロチックな想像力をかき立てるモンスターが吸血鬼であることに異存はないだろう。吸血鬼文学は19世紀に遡るので、その歴史をここで語る余裕はないが、アン・ライスの『ヴァンパイア・レスタト』と、吉田直の『トリニティ・ブラッド』を紹介しておこう。前者は、ロックスターとなった金髪美形のヴァンパイアであるレスタトの自叙伝で、『夜明けのヴァンパイア』の続編。後者は、体内のナノマシンを起動することで「吸血鬼の血を吸う吸血鬼」=クルースニクに変身する巡回神父アベルを主人公に、さまざまな事件を解決していく新しい時代のヴァンパイア・ノベルだ。04年に34歳で夭折した吉田直に最大の賛辞を送りつつ、もし実写化の機会があればユーグかトレスはHYDEが断然適役だと思う。みんなはどう思う?



up!!★ラブリー男子必読&必見16選

(スピッツやアジカンなどが好きな)ラブリー男子ってなんでできている? 音楽をはじめ、文学、マンガ、映画、アート、ちょっとした情報を整理できる力、そんなものからできています。あとはラブリー女子とのコミュニケーション能力を一さじ。脇の甘いことを言っていたら、文化系に長けた女子が、すいっと化けの皮を剥いでしまうんです。だから、衒学でもいい、剥がれないくらい、ひたすら文化に浸りましょう!

1.ラブリー男子必読小説
  20世紀の米文学を振り返ると、ヘミングウェイ、フォークナーとともに「失われた世代」の作家の1人と見なされるスコット・フィッツジェラルドを、高く評価してもいいのではないかと思う。現代と同じように、第1次世界大戦後、多くの若者が「アメリカン・ドリーム」で語られる価値観を疑い、新しいモラルを模索し始めた。フィッツジェラルドの代表作『グレート・ギャツビー』(村上春樹訳、中央公論新社)は、主人公と同じ中西部出の青年が回想するという形式の小説で、純愛と物質主義といった両義的なテーマが見事に結晶化された作品である。
 他方、日本の現代文学を見渡して、90年代のいわゆるJ文学や2000年以降のゼロゼロ世代文学で語られる作家たちからリスペクトされているのが、島田雅彦である。ラブリー男子=文化系男子とは、二枚目半的な男の子のことで、美男子なんだけど、三枚目的な要素を持ち、しかも趣味が幅広く、女の子との付き合いがうまい。そんな元祖ラブリー男子が島田雅彦といえまいか? 大学在学中に『優しいサヨクのための嬉遊曲』でデビュー。芥川賞候補になるが、計6回落選。永遠の青二才である亜久間一人を主人公とした『僕は模造人間』(新潮文庫)の自意識過剰っぷりが、ラブリー男子の隠された一面を暴き出す。
 90年代のいわゆるJ文学の双璧と評価されているのが、阿部和重と保坂和志である。ラブリー男子としては、保坂和志の『プレーンソング』(中公文庫)を要チェックだろう。保坂といえば、『草の上の朝食』で野間文芸新人賞を受賞するのだが、『プレーンソング』はその前作で、競馬と猫好きの4人の若者がマンションの一室で共同生活をするといった話である。てゆーか、何ら事件も起こることなくダラダラとした会話が続くのだが、中上健次やゴダールが会話に登場するなど、文化系男子特有のメンタリティが発揮されている。
 小説とマンガを合体させ新しい表現スタイルを模索している作家が、多摩美大出身のD[di:] である。とりわけラブリー男子には、「かわいい」ことが絶対的価値をもつ「着ぐるみの町」で生まれたが、そうでないために着ぐるみを着せられた少年トシの町からの脱出劇を描いた『キぐるみ』(河出書房新社)がお勧めだ。D[di:] の採用した表現方法は、小説の文章とマンガの絵をコマで割り、オノマトペを小説の方でも使うことなどである。日本語の漢字は「見る」文字、カタカナやひらがなは「読む」文字である。そこに文章と絵からなるマンガを入れるとどうなるか? 「形」に関わる情報を側頭葉でいかに処理し、それを前頭葉で単一の知覚にまとめるかが試される。

2.ラブリー男子必読マンガ
 D[di:]をアシスタントに使っていたマンガ家が、古屋兎丸である。デビュー作『Palepoli』を読めば、彼が自覚的に他者の文体の流用を行い、マンガというジャンルを巡りメタ批評を展開しているかが分かる。とはいえ、男子の永遠の憧れが「おっぱい」であるとのコンセプトの元に書かれた『πパイ』(小学館)を、ラブリー男子はこっそりチェックしておくべきだろう。理想のおっぱいを「π」と名付け、その形から黄金率を割り出す頭脳明晰でモデルをしている高校生の夢人。要するに『デスノート』の夜神月がこっそり「おっぱいノート」を隠しているような設定だ。もし付き合っている彼女が部屋に遊びに来たら、ベットの下かクローゼットに隠しておいた方がいいだろう。
ラブリー男子度が確実に上がるのは、安野モヨコと矢沢あいの作品だ。安野モヨコは、最近青年マンガ誌にも登場しているので、男性の認知度も高まっている。モテたいけれどモテない男を主人公にした『花とみつばち』や、社会人必読書の『働きマン』よりも、江戸吉原の遊郭を舞台に、位の高い遊女である花魁を主人公にした『さくらん』(講談社)をチェックするのが、粋というものだろう。江戸吉原といえば風俗街というイメージがあるが、実は通人による江戸の流行や文化の発信源でもあった。安野のゴージャスかつ気合いの入った画力もすごいし、蜷川実花の初監督で映画も公開された。
 他方、矢沢あいといえば『NANA』だが、ファッション雑誌『ジッパー』に連載されていた『Paradise Kiss』(祥伝社)を読んでおくのがラブリー男子としてはお洒落だろう。高校3年生の紫と、矢澤芸術学院服飾科に通うジョージの恋のかけひきを主軸に、イザベラ、嵐、美和子などのキャラが脇を固め「パンクを中産階級のものにするな!」とお怒りの諸氏もすんなり受け入れられる。矢沢あいのマンガに登場する男性は、やはり女性の目を通したものなので男性の理想像がよく分かる。吹き出しの外の「心中の呟き」、コマ割りやトーンの使い方、構図の取り方なんかも抜群である。
 少年マンガでお勧めは多々あるが、久米田康治の『さよなら絶望先生』(講談社)が必読書だろう。『かってに改蔵』最終話のあのオチに唖然としていたファンも、糸色望という超ネガティヴな眼鏡っ子教師を主人公にした『さよなら絶望先生』で帰ってきたことでホッとしたはずだ。相変わらず時事ネタを入れてクスリと笑わせ、やばげなオチで奈落に突き落とす。時事ネタがすべて分かるかどうかが、ラブリー男子の資質への問いとなる。

3.ラブリー男子必見映画
 ジャン=リュック・ゴダール。彼の作品を観て「訳分からない」なんてぼやいているようでは、ラブリー男子失格である。長編第1作『勝手にしやがれ』(アミューズ・ビデオ)なんぞ一種のギャング映画だもの。物語は、マルセイユで車を盗んだ男が、警官を殺したため追われ、パリで知り合ったアメリカ娘の裏切りで警官に射殺されるといった話。自然光による即興演出、ワンショットの中で人物が瞬時に移動するジャンプ・カットなどで、それまでの映画の約束事を破壊した。あとは、81年の『パッション』以降のイメージと音響による実験であるソニマージュの技法を理解し、『映画史』に登場する各シーンの引用の出所が分かれば古典映画にも詳しくなること請け合いだ。
 イメージと音響による実験といえば、香港の映画監督ウォン・カーウァイ。木村拓哉も出演した『2046』でその健在ぶりをアピールしたが、失敗作との声も多かった。とはいえ、ラブリー男子が観るべき作品として『恋する惑星』『天使の涙』『ブエノスアイレス』の3本は必見であろう。とりわけ『天使の涙』(ユニバーサル・ピクチャーズ・ジャパン)を劇場で観たときの感動が忘れられない。殺し屋とそのエージェント、無口な青年と失恋娘、ちょっと切れた金髪女、この5人が彩なす物語が、香港の街をくっきりと浮かび上がらせていた。クリストファー・ドイルの撮影技術と、大量のシーンのカット&ミックスに、頭頂葉が痺れた。
 ラブリー男子は少しキッチュな作品も趣味に入れとかないと、その二枚目半的な男の子のイメージが台無しだろう。キッチュといえば、ティム・バートンの作品群だ。『シザーハンズ』『マーズ・アタック!』『チャーリーとチョコレート工場』などで独特な世界が展開されているが、やはり彼の業界入りの契機を考えると『コープスブライド』(ワーナー・ホーム・ビデオ)こそが代表作に相応しいだろう。富豪の息子ビクターに、斜陽貴族の娘ビクトリアとコープスブライド(死体の花嫁)が絡む三角関係のストーリー。冥界がカラフルで、キャラが生き生きとしていることのアイロニーもさることながら、数秒のシーンに何十時間もかけて制作するというストップモーション・アニメーションに脱帽だ。
 他方、日本ではパーソナルCGアニメという新しい映像表現に注目。新海誠、ロマのフ比嘉、吉浦康裕らが代表的な作家である。今日、デジタルな表現はパソコン上で個人ないしは数人のユニットで行うことが可能となった。この場合、分業体制の制作会社で作るより作家性が重要視されることはいうまでもないが、逆にいえば自己完結してしまう傾向の作品が多くなることも事実だ。文化系男子としては、新海誠の『雲のむこう、約束の場所』(コミックス・ウェーブ)ぐらいは観ておくべきだろう。

4.ラブリー男子必見アート
 永遠のラブリー男子である現代美術家といえば、「ビデオアートの父」ナムジュン・パイク。ただし惜しくも06年、フロリダの自宅で73歳の生涯を閉じた。彼の作品は、ロボットを制作したり、テレビモニターを駆使したビデオアートやインスタレーションが中心であった。彼の勇姿は短編映画『エレクトロニック・スーパーハイウェイ』(ユーロスペース)で観ることができる。パイクの重要性は、CG、WEBアート、インタラクティヴ・アートなど「メディア」を活用したアートの多い今日、増すばかりである。ビル・ヴィオラの活躍も、パイクがいたからこそであろう。
 日本で注目のメディア・アーティストといえば、八谷和彦である。メイル革命を起こしたと評される「ポストペット」の発案者として名高く、エンタテインメント性が高いので、ラブリー男子としては押さえておきたい。作品は、自他の視聴覚を反転させる「視聴覚交換マシン」、自動車に尻尾をつけ挨拶する「サンクステイル」、ジェットエンジンを搭載し地面から浮かしてスケボする「エアボード」、『風の谷のナウシカ』の「メーヴェ」の実物を作るコンセプトの「オープンスカイ」など。作品集として熊本市現代美術館の展覧会用DVD『OPEN SKY』(完売)がある。
 八谷の仮面ライダー好きは有名だが、同じく日本のマンガやアニメに登場するヒーローや発明家に憧れて育った現代アーティストが、ヤノベケンジである。生理的食塩水に満たされたタンクで瞑想する「タンキング・マシーン」、チェルノブイリへも旅した「アトムスーツ」、放射線を一定数値感知すると立ち上がる人形「スタンダ」、大阪万博跡地に妄想未来都市を実現しようと試みた「メガロマニア」などが代表作である。ヤノベが放つ社会的メッセージは鋭いが、ジャンク・アート的な要素も兼ね備えている。作品集に『ヤノベケンジ1969−2005』(青幻舎)がある。
 八谷やヤノベら90年前後に登場した若手アーティストは、日本のポップ・カルチュアのイメージを多用するため「ネオ・ポップ」と総称される。これはウォーホルらの「ポップ・アート」に由来するが、自己言及的な批評性を含んでいることに気づくべきだろう。そういう意味で、大人社会の醜いところを身体全体で訴えているような子供や犬をモチーフとした作品で有名な奈良美智は、ラブリー男子の典型のような作家だ。可愛くて残酷、純粋無垢で不気味、必ず両義性を持って語られる作品は、子供時代の記憶から生み出されたという。自叙伝『ちいさな星通信』(ロッキング・オン)を読めば、奈良のロック好きもよく分かる。