up!!★ダナ・ハラウェイ『猿と女とサイボーグ 自然の再発明世界』(原書1991年、高橋さきの訳)、青土社
ここ何十年かの、フェミニズムの立場にたった今一つの豊穣な実践によって、科学においてとりわけはっきりしてきたのは、これまで受動的なカテゴリーであったはずの知の対象が、「能動化/活性化」してきている状況だろう。こうした能動化/活性化からすれば、性とジェンダーといったような二元論的な区別は、その戦略の有用性が損なわれるわけではないとしても、永続的な問題となってこざるをえない。こうした点については、科学の記述において性、特に雌/女性の性とみなされる対象が、霊長類学……の中で再構築されてきた過程について言及しておきたい。「身体/生体」という生物学言説の対象そのものが、特段の魅力を備えた相互関与的な存在となってきている。……最近の生物学の行動関係の記述に見られる生物学概念としての雌/女性には、受動的な特性など、もうほとんど残っていない。「彼女」は、どの点をとってみても、自らを形づくる存在であり、能動的である。「身体/生体」は媒介行為主体であって、源泉ではない。差異は、生物学によって、遺伝子から採餌パターンに至るまで、本質としてではなく、状況に関わるものとして理論化され、その結果、身体/生体に関わる生物学ポリティクスに根本的な変容が生じている。性とジェンダーの関係も、こうした知の枠組みの中で、カテゴリーとして再検討されねばならない。私は、生物学の説明戦略のこうしたトレンドを、フェミニズムの客観性というプロジェクトに誠実な各種の介入行為に向けてのアレゴリーとして示唆したいと思う。……こうしたアレゴリーでは、機械と生物の境界のみならず、動物と人間の境界も重要な問題とならざるをえない。