up!!★シャンタル・ムフ「カール・シュミットと自由民主主義のパラドックス」(原書1999年、古賀敬太・佐野誠編訳『カール・シュミットの挑戦』所収)、風行社
シュミットが最も恐れるのは、共通前提の喪失と、その結果生じる政治的統一性の崩壊であり、彼はそれを、大衆民主主義に付随する多元主義に固有のものと見ている。確かに、この危険性は存在する。そして彼の警告は真剣に受け止められる必要がある。しかしこのことは、多元主義のあらゆる形態を拒否する理由にはならない。私は、民主主義における「同質性」の何らかの形態の必要性を説くシュミットの議論を認める一方で、彼のジレンマを拒否することを提案する。そうなると、我々が対峙しなければならない問題は、シュミットが「同質性」として論及するものをいかにして異なる方法で想像するかということになるが、私は、−彼の概念との相違を強調するために−「同質性」ではなく、むしろ「共通性」(commonality)と称することを提案する。言い換えれば、「民衆」を組織するのに十分に強力であるにもかかわらず、多元主義の一定の諸形態、すなわち、宗教的、道徳的、文化的多元主義、さらには政党の多元主義などと両立可能でもある「共通性」の形態を、いかにして構想するかということである。これが、シュミットの批判に取り組むことによって、我々が対峙せざるをえない挑戦である。この挑戦は実に困難な挑戦である。問題とされているものが、民主主義的シティズンシップの多元主義的見解の形成そのものだからである。
up!!★シャンタル・ムフ『政治的なものについて 闘技的民主主義と多元主義的グローバル秩序の構築』(原書2005年、酒井隆史監訳、篠原雅武訳)、明石書店
ヨーロッパが新しい世界秩序を創造するさいに決定的な役割を果たしうるとするなら、それはすべての「道理にしたがう」人間が服従すべきコスモポリタン的な法を広めることによってではない。むしろ、広域的な極のあいだに均衡をもたらすこと、つまり、それぞれに特有の関心と伝統を価値あるものとみることを許容し、民主主義のさまざまな土着的モデルを受け入れられるような均衡の確立に貢献することによってである。このことは国際関係を規制する一連の制度が必要であることを否定しない。しかしながらこれらの制度は、一元化された権力構造の周囲に組織されるのではなく、かなりの程度の多元性を許容するものでなくてはならないのである。コスモポリタン主義者たちには失礼かもしれないが、ここでの目的は西洋的なリベラル民主主義のモデルの普遍化ではない。このモデルを唯一正当なものとみなし、抵抗してくる社会に押しつけようと試みるなら、それを受け入れない者を文明の「敵」として提示することになり、それによって敵対的な闘争の条件がつくりだされることになる。たしかに多極的世界にも対立は残存する。しかしながらここで対立がとる形態は、一極的世界における形態に比べればより敵対性の度合いの低いものとなろう。私たちには対立を除去し、人間の条件を逃れる力はない。しかしながらこれらの対立を闘技的な形態にする実践や言説、あるいは制度をつくる力はあるのだ。民主主義のプロジェクトを擁護しながら徹底化するとき、政治的なものをその敵対的な次元において認識し、権力と主権性とヘゲモニーとを乗り越えうる宥和した世界という夢を捨て去らなければならないのは、このためなのである。