Jeremy Rifkin(1945〜)

★ジェレミー・リフキン『改訂新版・エントロピーの法則−地球の環境破壊を救う英知』(原書1980・1990年、竹内均訳)、祥伝社
われわれは、好むと好まざるとにかかわらず、引き返すことなく、低エネルギー社会に向かって歩んでいかなくてはならないのである。われわれ自らが望み、そして、自らが生き続けていくことの必要性と、よりよい生活への大きなチャンスを認識して、低エネルギー社会へ突き進んでいくのか、それとも、必死になって現在の世界観にしがみつき、結局、苦痛にもがきながら低エネルギー社会へいやいや押し出されていくのか−。それは、われわれ次第なのである。高エントロピー社会から低エントロピー社会への移行は必須で、これを先へ延ばせば延ばすほど、温室化のツケはかさみ、方向転換がますますむずかしくなる。もし先へ延ばしすぎれば、支払わなければならない代償は、人類の負担能力を上回ることになるだろう。このように使用可能なエネルギーを、あたかもばら撒くように浪費しないためには、「エントロピーの法則」の持つ価値と命令を、とくと内面で捉えておくことが必要だ。しかもそれは、われわれ全員が一丸となって、社会、国、世界の選択として、ニュートン的世界観を捨て去っていかなければ、新たな時代への転換をスムーズに進行しなくなり、社会の変革も期待できなくなる。
引用者註
エントロピー(entropy):熱力学用語。ある閉じた系の利用されない熱エネルギーの量で、不均一な点が特徴。情報理論でもよく使われる。


★ジェレミー・リフキン『エントロピーの法則U−21世紀文明の生存原理』(原書1983年、竹内均訳)、祥伝社
遺伝子工学時代は、三つの段階に区分されると考えられる。第一段階はすでに始まっており、科学界では毎日のように、遺伝子の組換えに関する研究が行われている。この技術により、科学者たちは遺伝子の形質を変換させる技術に長けてきている。しかし遺伝子操作は、次に来る時代のまだ第一段階にいるにすぎない。今後、遺伝子の機能に関する科学的知識の増大にともなって、科学者たちは、遺伝子が生物を決定するすべてではないことを、はっきり確認するようになるだろう。同時に、遺伝子自体をコントロールする力にも注意を払うようになるだろう。そして遺伝子、細胞、生物、環境間の理解が「サイバネティックスの原理」によって統合され、これが、新時代の第二段階へ進む足場となることだろう。さて、その第二段階では、科学者は、遺伝子の形質操作からさらに一歩進み、工学技術を生物の組織全体に応用するようになるはずであり、生物の部分的な形質を応用した工業化から、遺伝形質の全面的な工業的応用化の時代へと進むわけである。そして、第三段階では生態系全体の操作が行われると予想される。ここでは、生物システムに含まれる情報をより高度で、より洗練されたプログラムにする作業も行われるはずなのである。……第一段階の操作には、遺伝子コードの知識が必要である。第二、第三段階の操作には「体内時計」と「場」の知識を必要とする。しかも、形質、生物、生態系と「遺伝子コード」「体内時計」「場」を統合するものは、外ならぬサイバネティックスであり、サイバネティックスこそ、遺伝子工学時代の組織方法だと言えるのである。
引用者註
サイバネティックス(cybernetics):動物と機械、社会における制御や情報の授受を対象にした研究。狭義では人工頭脳学。
ノーバート・ウィーナー『サイバネティックス』(池原止戈夫訳、岩波書店)を参考に。


★ジェレミー・リフキン『タイムウォーズ−時間意識の第四の革命−』(原書1987年、松田銑訳)、早川書房
ナノ秒文化は新しい、より悪質の還元主義をともなう。工業時代の時計仕掛けの宇宙は急速度で脱工業時代のコンピューター宇宙にとって代わられている。西欧文化は過去数百年間、人間の心と物質とを機械にあてはめて規定し、あらゆる現実を時計技術の操作原理に還元したが、いまや新しい旅路が始まろうとしている。つぎの世紀(引用者註:二一世紀)のわれわれの子孫はおそらく、情報理論とサイバネティックスの用語を用いて彼らの環境を再規定し、新しいコンピューター・テクノロジーの操作原理に一致する自然観を出現させようとするだろう。われわれは今新しい時間世界に入りかかっている。その世界では時間がナノ秒単位区分され、未来は前もってプログラムされ、自然はコード化された情報ビットとして再認識され、天国は完全にシミュレートされた人工的環境と考えられるだろう。
引用者註
ナノ秒(nanosecond):十億分の一秒で、記号n、略はns あるいはnsecが用いられる。


★ジェレミー・リフキン『脱牛肉文明への挑戦−繁栄と健康の神話を撃つ−』(原書1992年、北濃秋子訳)、ダイヤモンド社
貧しい人々のあいだで飢えが広がっているにもかかわらず、多くの国々では依然として食料から飼料への転換が急速に進んでいる。この現象が人間にどんな結果をもたらすかを劇的に例証したのが一九八四年のエチオピアの飢餓問題である。この国で毎日何千人もの人々が飢えのために死亡した。しかし、このとき、エチオピアの農地の一部が、イギリスその他のヨーロッパ諸国に輸出するための飼料用のアマニ粕、綿実粕、菜種粕を生産するのに使われていたという事実はあまり知られていない。現在、第三世界の膨大な面積の土地がヨーロッパ市場向けの家畜飼料の生産に利用されている。……食料か飼料かという問題は今後、南北関係の政治にますます大きな意味を持つようになるだろう。私たちは全人類の三人に二人までが基本的に植物性食物で生きているということを忘れてはならない。世界の穀物生産の三分の一がウシその他の家畜に供給されていること、そして世界人口が向こう一〇年間にほぼ二〇パーセント増加すると予想されていることから、近い将来に全世界規模の食糧危機が起こる条件はすでにそろっていると考えざるをえない。アメリカ人は世界に名だたる牛肉大量消費者である。アメリカ人は巧妙に構築された人工的な蛋白質連鎖のてっぺんにのし上がり、そこで肉牛という媒介動物を通して地球の恵みをむさぼり食っている。しかし、そうすることがいったい許されるのかどうかという問題が、アメリカ人のあいだで提起されることはめったにない。穀物肥育牛肉を大量に消費することは権利とみなされ、ライフスタイルの問題とみなされている。牛肉文化の裏側では、締め出された人々が日々の最低限の食物にも事欠いているのだが、こうした現状に光が当てられることはめったになく、論議されることも改善策が練られることもない。牛肉消費者は畜牛複合社会の醜い裏側からあまりに遠く離れているために、自分たちの食物の選好が他国の人々の生活と政治情勢にどんな影響を与えているのかを知ることも気にかけることもない。


★ジェレミー・リフキン『大失業時代』(原書1995年、松浦雅之訳)、阪急コミュニケーションズ
幾百万の人々が今後いっそう仕事以外の活動に時間を割くようになるにつれ、生活に占める労働の重要性は−それが自己の価値観におよぼす影響力をふくめて−薄れていく。そのことは同時に、市場原理をふまえた価値観や世界観や将来ビジョンに対する忠誠心が低下することをも意味する。そして、市場原理に代わる新たなビジョンが人々の自己変革や共同体の再生、環境への関心といった気風に深く根をおろし、それが幅広い支持を得るとすれば、脱市場時代に向けた精神的な素地はおのずと整っていくにちがいない。将来的には世界中でますます多くの人々が、労働時間の減った分だけ思いどおりに使える時間を余計にもてるようになるだろう。ただしその“自由な”時間が、パートタイム労働の強制やレイオフや失業の結果としてやむなく押しつけられたものになるのか、それとも生産性の向上や時短の推進、収入の増大によって実現した余暇時間となるのか−その点については、いまだ政治の舞台で決着がついてない。仮に機械が人間労働を徹底的に駆逐し、その結果として史上空前の大量失業がもたらされるとすれば、思いやりと心遣いに満ちた社会を発展させ、人間精神の変革を土台にした世界観を確立していくことなどとうてい期待できない。むしろその行きつくところは広範な社会動乱、未曾有のスケールでの暴力、そして公然たる戦闘状態であり、貧しい人々は互いに衝突しあうだけでなく、世界経済を牛耳る裕福なエリート層へも激しい怒りを向けるだろう。だがその逆に賢明な道が選びとられ、勤労者が時短や充分な収入というかたちで生産性向上の恩恵に浴したならば、近代史上のどの時代よりも多くの余暇がつくりだされよう。その時間は、共同体的な絆の復活や民主主義的な遺産の再活性化のために利用されていくだろう。そのことはこれからの新しい世代にとって、国家主義の狭い視野を乗り越え、人間相互の献身はもとより地域社会や、より広い地球という生物圏とも深くかかわりあいながら、人類の共通の一員として考え行動しはじめるための第一歩となるかもしれない。


★ジェレミー・リフキン『バイテク・センチュリー−遺伝子が人類、そして世界を改造する』(原書1998年、鈴木主税訳)、集英社
きたるべきバイオテクノロジーの世紀には、社会が遺伝子操作の一部は受け入れて利用するが、一部は拒否するということもありうる。たとえば、身体に障害をもたらす病気、とくに早期治療によって予防できる病気の猛攻撃を的確に予測する遺伝子スクリーニング−適切な安全対策を講じたうえで−には、強力な擁護論が展開されるだろう。新しい遺伝子操作技術も、新世代の救命医薬品に通じる道を開拓するだろう。他方、遺伝子治療によってヒトの生殖細胞系列に矯正的変化を起こし、未来の世代の選択の自由に影響をおよぼすことははるかに問題をはらんでいるし、多数の遺伝子組換え生物を地球の生物圏に放出しようという努力も同じである。遺伝子操作の選択肢には、社会がイエスというものもあれば、ノーというものもあって当然である。……問題はバイオテクノロジーの世紀において、われわれはどのような種類のバイオテクノロジーを選ぶかということなのだ。
引用者註
バイオテクノロジー(biotechnology):生物(生命)工学のことで、略はbiotech。
生物がおこなう反応や機能を工業的に応用することで、社会に有益な利用法をもたらす技術。


★ジェレミー・リフキン『エイジ・オブ・アクセス』(原書2000年、渡辺康雄訳)、集英社
電子コミュニケーションは印刷技術とは異なった仕方で知識を整理する。ハイパーテキストは印刷の本の参考資料の引用法に取って代わるものだ。一定数の事実を記した自己完結型の本の代わりに、脚注や引用文献が無限に拡大し、新たなサブテクストやメタテクストを生み出す開放型の情報の場が登場している。印刷した本は直線的であり、製本され固定化しているのに対し、ハイパーテキストは連想や結び付きを主とし、本来境界がない。印刷本はその性質において排他的であり、形態において自律的だ。ハイパーテキストはその性質において包括的、形態において関連的だ。印刷本には始めと終わりがあって完結しているが、ハイパーテキストには明快な始めも終わりもなく、ユーザーが関連資料に接続する開始点があるだけだ。……ハイパーテキストが著者という従来の概念を曖昧にする。何しろメディアが排他性や自律性ではなく、包括性や接続性に基づいているので、多くの場合自分の貢献と他者の貢献とを分ける明確な境界がない。人々は無数の情報源や媒体から情報素材にアクセスし、絶えず切る、組み合わせる、編集する、微妙に加工するなどの行為を行い、しかもそれを自分のものと組み合わせて自分がつながっている様々なネットワーク中の他のノードに向けて送り出している。素材がすべて一人の創造的努力の結果として完成品になる代わりに、進行中の開放型プロセスの一部となり、そこに時空を超えて散らばる複数の個人が関わってくる。しばしばそこに独占所有権を賦与することは困難になる。
引用者註
ハイパーテキスト(hypertext):ウェブ上で多方向からノンリニアに配列されたテキスト。テッド・ネルソンが提唱し、1987年に完成。


up!!★ジェレミー・リフキン『ヨーロピアン・ドリーム』(原書2004年、柴田裕之訳)、NHK出版
権利擁護グループと民族擁護グループはしばしば重複し、目的を共有する。たとえばグローバルな人権組織は、チベットの人々が自らの存在を脅かす中国の政治的侵略や抑圧と闘い、アイデンティティと自律を守ろうとするのを支持している。だが権利擁護グループと民族擁護グループは、互いに反目することもよくある。突きつめれば前者は自由な個人のグローバルな利益を代表するが、後者の関心はコミュニティのより伝統的利益にあるからだ。たとえばアフリカの一部の文化グループでは、まだ女性器切除が行われ、それが大人への通過儀礼だと考えられている。第一世界、第三世界の女性グループは、自分の体を管理する女性の基本的人権を侵すものだと主張し、この行為をやめるよう求めている。そしてこの慣習は、男性が女性を隷属させる方法だと非難する。ヨーロピアン・ドリームがとても興味深いと同時に問題含みなのは、それが普遍的人権と偏狭な文化的権利の両方を、同じ政治的保護下に取り込もうとしているからだ。これは、民族国家の方針とはまったく異なる。民族国家の目的は、個人の財産権と市民の自由を保護し、下位集団を単一の国家的アイデンティティに同化させ統合することに限定されていた。多文化主義と人権を同時に考慮するのは容易なことではない。文化的コミュニティは家族や血縁関係または共通の宗教的経験、あるいはそれらの組みあわせに根差しており、一般に物理的環境に固定されていることを思いだしていただきたい。それにひきかえさまざまな人権運動は、限定的でなく普遍的だ。集団でなく個人に力点が置かれる。その舞台は領土でなく生物圏だ。