Edward Wadie Said(1935〜2003)

★エドワード・W・サイード「故国喪失についての省察」(初出1984年、大橋洋一訳、『故国喪失についての省察1』所収)、みすず書房
故国喪失者の運命のなかで、もっとも異常なのは、おそらく次のことにつきるだろう、すなわち故国喪失の民によって、故国喪失状態に追いやられること−故国喪失の民の手によって、ルーツから引き離されるという実際のプロセスを再体験すること。一九八二年の夏、パレスチナ人たちは全員が自問していたはずだ。イスラエルを突き動かし、一九四八年にパレスチナ人を追放し、さらにはレバノンで、パレスチナ人を難民ホームから難民キャンプへ追い立てたのは、いかなる名状しがたい力だったのか、と。あたかも、再構築されたユダヤ人の集団経験とそれを代弁するイスラエルと現代のシオニズムは、ユダヤ人苦難の物語とならんで、いまひとつの権利剥奪と喪失の物語が肩を並べて存在するのに耐えられないとでも言わんばかりだ−パレスチナ人のナショナリズムに対するイスラエル当局の憎悪によって絶えず煽られてきた不寛容がこれであり、パレスチナ人たちは過去四六年にわたって、故国喪失状態の中で、みずからの民族アイデンティティを痛ましい思いで再構築してきた。……エグザイルであることの悲哀は、大地の堅さと、それがもたらす喜びとの接触を失うことにある。故郷に帰還することなど、まずもってできない。


up!!★エドワード・W・サイード「ネルソン・マンデラをはじめとする人々」(初出1990年、川田潤+伊藤正範+齋藤一+鈴木亮太郎+竹森徹士訳、『収奪のポリティックス−アラブ・パレスチナ論集成1969-1994』所収)、NTT出版
アラブとパレスチナの闘争は、南アフリカやアルジェリアといった他国の闘争よりも複雑で困難な状況にあり、戦略的な同盟もなく、新たな帝国主義の猛攻に耐え得る経済的・文化的な基幹施設もない状態のなか、形勢はきわめて不利だ。だが判断を誤らずに、困難なときに導いてくれる道徳的・政治的な主義を信奉せずに、どうして時代と運命の波から浮かび上がることができるのだろうか。私たちが右往左往しつつ、ほぼすべてのことに妥協し続けていて、どうやって私たちの目的を阻むものに打ち勝つことができるのだろうか。これはパレスチナ人とアラブ両方の問題である。その答えは私には明らかだ。今日のアラブ知識人の役割とは、解放と民主主義という主義を何としてでも明確にし、擁護することだ。そのためにはこれらの主義の現実性と価値をアラブ国家の指導者たちに理解させなければならない。さもなければ私たちの未来は−もし私たちが未来を手に入れようとするつもりならだが−きわめて陰惨であるし、ある意味では守る価値もない。アラブ世界にとって、マンデラや彼のような人物から学ぶべき教訓は、称賛し尊敬すべき何かだけではなく、競い合い、実践し、しかも厳格となるべき何かである。私たちはあまりに長いあいだ、招かれざる客のままでいる。人類の大行進から外れてたたずむ癖をつけてはいけない。誰も行進に加わるよう求めてはくれない。自分が饗宴の場にふさわしい存在だと信じて、自分から行進に加わらなくてはならないのだ。


★エドワード・W・サイード「知識人と戦争」(初出1991年、『権力、政治、文化(下)』所収、田村理香訳)、太田出版
アラブ世界にはこれまでには見られなかったことが起こっています−国境内の国民はある意味で均質化されるといった考え方です。たとえばシリア国民は、シリア人で均質化されるというように。これはわたしたちの文化や歴史にはまったく馴染まない考え方です。なぜなら、この地域の本質とは、多様性でなりたっているというまさにそのことにほかならないからです。純粋性などまったく存在しないのです−あるのは異種混淆性の尊重であり、これは他には見られないほぼイスラムだけの特徴です。そして、だからこそ人びとは、こうした国々に、つぎからつぎへと頭をもたげてきた滑稽なナショナリズムに反発してきたのです。しかしいまや状況は、ヨルダン王が「わたしはシャリーフだ」と公言するまでになっています〔シャリーフは「高貴な血筋の人」を意味する〕。自分たちのアイデンティティの足場を、イスラム教の問題であれ、部族や国境の問題であれ、遠い過去の純粋に原初的な状態に競い合ってもとめているありさまなのです。そんな世界はわたしが育った世界ではありません。


★エドワード・W・サイード「批評と政治術」(初出1992年、『権力、政治、文化(上)』所収、大橋洋一訳)、太田出版
帝国主義への抵抗となったのは、もちろんナショナリズムの台頭です。ナショナリズムというと、じつに多くのものを意味します。あきらかに、そのひとつの側面は、反動現象でしょう。それはアイデンティティの主張であり、そこではアイデンティティという問題系が文化と政治的活動のうねりをさらってゆくと考えられています。これはヨーロッパの植民地主義に対するナショナリストの戦いの初期段階にあてはまります。実例としてはアルジェリアとかマレーシアとかフィリピンを挙げることができる。またアラブ世界のさまざまな側面、またカリブ社会にも、それを見てとることができるでしょう。またこのとき、抵抗はするが独自の統一的性格(セゼールのいう〈ネグリチュード〉のようなもの)を保持した国民あるいは民族としての自己同一性を案出せねばという圧力が生じます。しかしこれに対しては、その本質的価値を認めはするものの、思想的にも政治的にも大きな限界があるように思われます。限界というのはナショナル・アイデンティティのフェティシュ化〔物神化〕と関係します。ナショナル・アイデンティティは、フェティシュになるだけでなく、一種の偶像にも転化します。ベーコン的意味でいうアイドル、洞窟の虚像、種族の偶像としてのアイドル。わたしには、アイドル化したナショナル・アイデンティティは、それと寄り添うかたちで、ある種のせっぱつまった宗教的感情を生みだすように思われるのです。もちろん、これだけで、たとえばイスラム世界とかキリスト教世界とかユダヤ教世界における原理主義の台頭について言いつくせるものではないのはたしかですが、重要な構成要素となっているのもたしかです。


★エドワード・W.・サイード『遠い場所の記憶−自伝−』(原書1999年、中野真紀子訳)、みずず書房
わたしはときおり自分は流れつづける一まとまりの潮流ではないかと感じることがある。堅牢な固体としての自己という概念、多くの人々があれほど重要性を持たせているアイデンティティというものよりも、わたしにはこちらのほうが好ましい。これらの潮流は人生におけるさまざまの主旋律のように、覚醒しているあいだは流れつづけ、至高の状態においては折り合いをつけることも調和させる努力も必要としない。それらは「離れて」いて、おそらくどこかずれているのだろうが、少なくともつねに動きつづけている−時に合わせ、場所に合わせ、あらゆる類の意外な組み合わせが変転していくというかたちを取りながら、必ずしも前進するわけではなく、ときには相互に反発しながら、ポリフォニックに、しかし中心となる主旋律は不在のままに。これは自由の一つのかたちである、とわたしは考えたい−たとえ完全にそう確信しているとはとても言えないにせよ。この懐疑的傾向もまた、ずっと保持しつづけたいとわたしが特に強く望んでいる主旋律の一つである。これほど多くの不協和音を人生に抱え込んだ結果、かえってわたしは、どこかぴったりこない、何かずれているというあり方のほうを、あえて選ぶことを身につけたのである。


★エドワード・W・サイード「定義の衝突−サミュエル・ハンチントン」(初出2000年、大橋洋一訳、『故国喪失についての省察2』所収)、みすず書房
諸文化の衝突を管理し明白にすることに関心が払われすぎると、文化間の大いなる、しばしば沈黙の交換や対話が見過ごされてしまう。現存する文化−日本の文化であれ、アラブやヨーロッパの文化であれ、韓国、中国、インドの文化であれ−、とにかくまがりなりにも文化と名のつくもので、他の文化と、長きにわたって親密できわめて実り豊かな接触をしてこなかった文化など、どこにあるというのだろう。こうした文化交流のありように、いかなる例外も存在しない。紛争管理者たちには、ぜひとも、たとえばオリヴィエ・メシアンあるいは武満徹の作品のなかにある、さまざまな音楽の混淆に注意を払い、その意味を理解してもらいたいものだ。さまざまな国民楽派のもつ力と影響にもかかわらず、現在の音楽でもっとも感銘ぶかいことは、その音楽のどれにも国境線を引くことができないということである。文化はしばしば、他の文化との提携関係に入ると、もっとも自然に、その文化らしくなる。それは音楽が、他の社会や他の大陸における音楽の発展に対して、瞠目すべき受容力を示すことからもあきらかである。ほとんど同じことは、文学についても言える。たとえばガルシア=マルケスやマフフーズや大江の読者たちは、言語や国民によって規定される境界をはるかに越えて広く存在している。わたしが専門とする比較文学の分野でも、もろもろの文学のあいだに、強力なイデオロギー的かつ国家的障壁があるにもかかわらず、文学間の交流関係とか、そうした文学間の共鳴と調和に対する認識論的関心が存在するのである。
引用者註
サミュエル・ハンチントンの論文「文明の衝突」批判。


★エドワード・W・サイード「危険な無自覚」(初出2001年、中野真紀子訳、『戦争とプロパガンダ』所収)、みすず書房
政府やメディア……が投影したがっている政治的イメージは、アメリカの「団結」である。集合体としての「われわれ」が存在し、「われわれ」はみな一つになって行動し一つになって考えるという感覚がメディアと政府によって捏造されており、さほど重要でない表層的な現象を通じてその存在が浮かび上がっている−あちこちに星条旗が掲揚され、ジャーナリストは合衆国が関係する世界の出来事を描写するに際し集合体としての「われわれ」という言葉を使用する。われわれは爆撃した、われわれは言った、われわれは決定した、われわれは行動した、われわれは思っている、われわれは考える、等々。もちろん、このようなことは現実とは大きく遊離している。現実ははるかに複雑で、そんなに安心できるものではない。記録も公表もされぬ懐疑、率直な反対意見さえもかなり多いのだが、そうしたものは愛国心の発露におおい隠されているようだ。アメリカの団結が強力に打ち出されている結果、合衆国の政策に疑問を投げかけることはほとんど許されない。だがその政策は、さまざまなかたちで、アフガニスタンをはじめいたるところで予想外の事態が続出する方向に突き進んでおり、それらの意味を多数の人々が理解するときにはすでに手遅れとなっているであろう。その一方で、アメリカの団結は、アメリカがしていること、してきたことについては、深刻な意見の相違や論議は許されないのだと世界に向けて表明することを要求する。ビンラディンとまったく同じように、ブッシュは世界に向けて、われわれの見方となるか、さもなくばテロリストの味方としてわれわれを敵にまわすか、と二者択一を迫る。つまり、一方ではアメリカが戦っているのはイスラームではなくテロリストであるとしながら、他方では……「われわれ」はムスリムのテロリズムやイスラームの憤怒……に対抗しているというわけである。ヒズボラやハマスをテロリスト組織ときめつけるアメリカの断罪に対しては、レバノン人やパレスチナ人からこれまでのところ効果的に異論が表明されているが、だからといってイスラエルの敵に対して「われわれの」敵という烙印を押そうとする運動が阻止できるという保証になるわけではない。


★アラ・グゼリミアン編『バレンボイム/サイード 音楽と社会』(原書2002年、中野真紀子訳)、みずず書房
したがって、いちばんよい解釈は、テクストとは作曲家や作家や詩人によってなされた一連の判断の集積であるとみなすことだろう。その結果が僕らに与えられているのだ。それゆえ、これを読むには、これらの音符や言葉が紙の上にあらわれることになったいきさつを理解しようとしなければならない。それはとても複雑なことだ。というのは、実際、そこにかかわってくる−ブーレーズの言葉では「映し出される」−のは、一連の直観と、スタイルについての経験に基づく一連の推測、聴き手をひきつけるような新しさを生み出すようなサウンドの再現や、言葉の再現の鍛錬をつむことだ。パフォーマーや解釈者が他人のしたことをくり返すだけであれば、解釈やパフォーマンスは退屈なものになるだろう。僕らはそこに新しい刺激、新しい形を与えようとする。でも同じくとても大事なことは、解釈者の役割を、原作者である作曲家や詩人とのからみだけでなく、現時点でのパフォーマーや解釈者とのからみにおいても理解することだろう。つまり、僕らはみな一定のしきたりに制約されており、それによって一定の規範をふみ越えることができなくなっているということだ。そういう規範は結局、社会的また知性的に決定されている。だから、そこにはつねに相互作用が働いていると思う。一方には読者やパフォーマーや解釈者の個性があり、他方には、あるテクストについての判断や合意や伝達の歴史がある。伝達というのは、そのテクストをその歴史から−五分前であろうが二〇〇年前であろうが−取りだして、現時点で利用できるようにするということだ。したがって、解釈のプロセスとは、つねに多大な合理的分析を要求するダイナミックなものだと思う。単純にフィーリングだけで決定されるような事柄ではない。


★エドワード・W・サイード『フロイトと非-ヨーロッパ人』(原書2003年、長原豊訳・鵜飼哲解説)、平凡社
ユダヤ人という視点からする非-ヨーロッパ人についてのフロイトの思索や見解は、思いますに、アイデンティティを多くの人びとがそこで生活を営みたいと必死に願っているナショナリズム的あるいは宗教的な集団といったものへ融解させてしまうことの拒絶を経由することによって初めて、そうした視点が当然もたらす結果についての実に見事な見取図を提供するのです。またもっと大胆なことは、もっとも限定的であり、もっともその同一性を画定しうる、もっとも不変な共同的アイデンティティ−それは、彼にとっては、ユダヤ人のアイデンティティにほかなりませんでしたが−にとってさえ、内在的限界が存在し、そうした限界が共同的アイデンティティが一つのそしてただ一つの〈アイデンティティ〉へと十全に統合されることを妨げているといった洞察についての深遠な事例を、フロイトが提出していることです。……こうした思考の強みは、それが、寛容や憐憫といった緩衝剤の投与をとおしてではなく、むしろ、厄介でさまざまな障碍を作りだし不安定な世俗の苦痛としてそれに向き合うことによって、捕縛のもとにある他のアイデンティティに結び止められ、かつ語りかけることができるからだと思うのです。


★エドワード・W・サイード『文化と抵抗』(原書2003年、大橋洋一・大貫隆史・河野真太郎訳)、ちくま学芸文庫
すくなくともサダム・フセインとオサマ・ビン・ラディンの場合には、このふたりの人物が権力を掌握する過程に、合衆国が一枚かんでいたことを明言するのを憚る風潮があります。しかし、これは、……ビン・ラディンにあてはまるだけでなく、サダム・フセインにもあてはまる。なにしろサダム・フセインは、合衆国によってイランへの敵対者として支援を受けていたからです。彼はクウェート占領以前には合衆国から大量の兵器と援助を受けていたのです。ただ、こういったことすべてについて非常に心配なのは、冷静な分析や考察を遂行する気配がないかわりに、差異化し定義しようとする努力だけが、やけにめだつことです。たとえば〈テロ/テロ行為〉という用語。〈テロ〉はいまや反米主義と同義語になるかと思えば、今度は合衆国に対して批判的であることと同義語になり、さらにまた非愛国的であることと同義語になったりしているのです。このような同義語づくりの連鎖はもってのほかです。わたしたちがなすべきなのは、たとえば一九七〇年代の国連でのテロとは何かについての論争へとたちもどることでしょう。つまり一九八〇年代にソ連に対抗して戦ったアフガニスタンのムジャヒディーンについて、「自由の闘士」であるといっておきながら、今、複数の国がアフガニスタンへ侵入しようとするとき、これを撃退し防衛せんとする彼らのことを、テロリスト呼ばわりするのは筋がとおらないということです。……テロとテロリズムの定義はもっと正確であるべきです。

わたしにとっての懸念事項は、アラブ世界全体の、いやムスリム文明全体の文化的中心としてのイラクにほとんど注意が払われていないことです。イラク文明は、数千年前のシュメール、アッシリア、バビロン文明までさかのぼり、そこから連綿と途切れることなくつづいているのです。……忘れないでください。イラクはアラブ文明の精華でもあったアッバース朝の中心地であったこと、を。……こんないいまわしがあります。エジプト人は書き、レバノン人は出版する、イラク人は読む、と。……イラク文化のなかで誰が偉大な人物なのか−偉大な作家や芸術家や画家や彫刻家や科学者が誰なのか−西洋ではまったく無頓着なのです。これはイスラム・アラブ世界と西洋世界、その両者間に存在する亀裂の、いまひとつの徴候にすぎません。


up!!★エドワード・W・サイード「誇りと連帯」(初出2003年、中野真紀子訳、『オスロからイラクへ 戦争とプロパガンダ 2000-2003』所収)、みすず書房
さらにいっそう重要なポイントとして指摘したいのは、わたしたちの文化や社会と、現在これらの社会を支配している少数の人々のあいだに、巨大なギャップが横たわっていることだ。国王、将軍、スルタン、大統領などの称号で現在アラブ人を統治している一握りの人々。これほど少数の人々にこれほどの権力が集中したことは、歴史を振り返ってもめったになかった。一つの集団としてみた彼らの最も悪いところは、彼らがほぼ例外なく、国民の最良のものを代表していないということだ。これは民主主義がないというような問題ではない。どうやら彼らは、自分自身も、自分の国民も、ともにひどく過小評価しているらしく、そのためみずからを閉ざしてしまうようになっている。そのため彼らは不寛容で変化を恐れ、自分たちの社会を国民に解放することを恐れ、そしてなによりもビッグブラザー、すなわちアメリカの怒りに触れることを恐れているのだ。彼らは自国の市民を潜在的な国の宝としてみることをせず、みなひっくるめて支配者の権力を狙っている罪深い共謀者なのだとみなしている。これが本当の失態だ。イラク人に対するひどい戦争のあいだに、このアラブで最も重要な国が略奪され、軍事占領されたことについて、何か発言するような品格と自信を備えたアラブの指導者は一人もいなかった。サダム・フセインの恐怖体制がなくなったというのは、たいへん結構なことだ。だが、いったい誰がアメリカをアラブの指南役に任命したというのだ。……このようなアメリカの破廉恥で不法な干渉に抗議して、アラブから一斉に声が挙がることがどうしてなかったのだろう。それによってアラブのネイション全体が大きく損傷し、ひどい侮辱を受けたというのに。これは本物の大失調だ−神経と、品性と、内部団結の。


★エドワード・W・サイード『人文学と批評の使命−デモクラシーのために』(原書2004年、村上敏勝・三宅敦子訳)、岩波書店
現代の人文学者は、二つの決定的な動き−受容と抵抗と呼びたい−のなかで読むことに関わっているのだと論じよう。受容とは、見識をもってテクストに自らを委ね、それらをまずは暫定的にそれぞれ独立したものとして扱うこと……である。それから、はっきりせず目に見えないことが多いテクストの存在の枠組みを、拡大し解明することによって、そのテクストが生み出された歴史状況や、特定の態度や感情やレトリックの構造が、なんらかの潮流、そのテクストの文脈を作っている歴史的・社会的公式とどう絡みあっているかという問題へ、移っていくことなのである。テクストを、その複雑さのまま、……変化に批判的な注意を払いつつ受け入れることによってのみ、統合的にも総合的にも、特定のものから一般性へと移動することができる。それゆえ、文学テクスト−小説、詩、随筆、など−の精読は事実上、テクストをさまざまな関係のネットワーク全体の一部として、それが生み出された時代にゆっくりと位置づけるのであり、ネットワークの輪郭と影響力は、そのテクストのなかで形成の役割をはたす。またそれゆえに人文学者にとって、読む行為は自身を作者の立場に置く行為であり、作者にとって書くこととはことばで表現された一連の決定と選択なのだと、述べておくのも重要だろう。


★エドワード・W.・サイード『晩年のスタイル』(原書2006年、大橋洋一訳)、岩波書店
ヴィスコンティの世界は、……その嗜好、十九世紀イタリアの綿密な再現、高度な映画的知性ゆえに、その世界は最終的にハリウッド映画の枠におさまりきらず、ワーグナーやプルースト、そしてもちろんランペドゥーサ自身に負うところの多い晩年のスタイルをそなえた芸術となったのである。こうしたことすべては、ヴィスコンティとランペドゥーサが仕事をした、小説とか映画という大衆消費形式と齟齬をきたすといえるかもしれない。アドルノと比べた場合、さらにはシュトラウスと比べた場合、その対比に驚くかもしれない。アドルノとシュトラウスはともに、きわめて専門分化した媒体それもその根底に抵抗性を宿した媒体、すなわち哲学的エッセイとクラシック音楽において活動を展開したからだ。しかしながら、四人すべてのなかに、ある種の放蕩へと向かう感覚、つまりおびただしい浪費へと傾斜する、やむにやまれぬ欲望、容認されたもの、あるいは安易なものを傲然と拒否する姿勢がみられるだけでなく、きわめて危険でなおかつ敵対的でもある同盟を求めて、権威主義的なシステムへと向かう感覚が存在する。……ここで私が論じた人物のそれぞれが、晩年性や時代との齟齬を、また傷つきやすい成熟状態を基盤として、主体性のこれまでにない統制されていない様式をこしらえるのだが、同時に、それぞれが−晩年のベートーベンのように−技巧上の修練と周到な準備にあけくれる生涯を送っていた。アドルノ、シュトラウス、ランペドゥーサそしてヴィスコンティは、グレン・グールドやジャン・ジュネと同様に、二十世紀の全体化規範となって立ちはだかる西洋の文化と文化的拡散装置−音楽業界、出版業界、映画、ジャーナリズム−の裏をかいたのだ。彼らの作品に見出しにくいもの、それは彼らの悩んでいる姿である。たとえ彼らがはなはだしく自意識的な至高の技巧家であっても、その姿だけはお目にかかったことがない。老齢に達した彼らは、老齢に固有と思われている晴朗な心境なり円熟、老齢に固有のおおらかさやへつらいを求めて、あせったりはしていないかのようだ。しかもだからといって、彼らの誰ひとりとして、死すべき運命について、それを否定したり、やりすごそうとはしないで、死、それも言語の用法と美的なるものを損なうと同時に奇妙にも格上げしてくれる死、その死というテーマとして、絶えず呼び戻しているのである。