Joseph E. Stiglit(1943〜)

up!!★ジョセフ・E・スティグリッツ+カール・E・ウォルシュ『スティグリッツ 入門経済学(第3版)』(原書1993, 1997, 2002年、薮下史郎/秋山太郎/蟻川靖浩/大阿久博/木立力/清野一治/宮田亮訳)、東洋経済新報社
日本経済は1990年代初頭から下降傾向になり、1997年には完全な不況に陥った。おそらくいくつかの要因が相互に影響しあったことが、この不況にいたるうえで決定的であった。そのなかでももっとも重要な要因は金融部門の弱体化である。日本の銀行経営が弱体化していることはかなり以前から明らかであったが、日本経済はこうした状況から脱出するであろうという期待があった。すなわち銀行部門の利潤が、不良債権……から生じる損失を埋め合わせたり、銀行部門の経営を強化するために用いられるので、政府による救済は必要ではなくなるだろうと考えられていた。こうした期待は、日本の貿易相手国として重要な地域で1997年に発生した経済状況の悪化と、他の要因によってもたらされた日本経済自身の悪化によって、打ち砕かれることになった。一つは……、東アジアの危機である。他の二つは日本政府が犯した政策ミスの結果であるが、その一つは1997年の消費税の増税であった。……第二の政策ミスは、銀行経営の弱体化に対する政府の対応の仕方についてであった。「健全な」銀行の国際基準……があり、銀行は少なくとも保有資産の8%に当たる自己資本を維持しなくてはならない。……不良債権が増加すると、日本の銀行のなかにはこの基準を満たすことができないところが増えていくことが明らかになった。銀行がこの基準を満たすことができなくなると、一般的には銀行は貸付けを削減するか、または新たに資本を注入するかをしなければならない。……政府が銀行に資金を注入すべきかどうか、またどのように注入すべきか……について議論している間に、多くの銀行は貸付額を削減した。これが悪循環を引き起こすことになった。
引用者註
消費税の増税(3→5%)は、橋本内閣が実施した。
現在のデフレ不況を考える上で、重要なターニングポイントが1997年にあることは、経済学者の一致した見解であろう。
本書以下3冊は、経済学を学ぶ上で最適であり、あらゆる人が熟読すべき3部作。


up!!★ジョセフ・E・スティグリッツ+カール・E・ウォルシュ『スティグリッツ ミクロ経済学(第3版)』(原書1993, 1997, 2002年、薮下史郎/秋山太郎/蟻川靖浩/大阿久博/木立力/清野一治/宮田亮訳)、東洋経済新報社
税金や取引可能許可証と言ったインセンティブを与える政策は、規制などの直接規制に比べて重要な利点を持っている。汚染問題は、汚染が許されるべきか否かという二者択一の問題ではない。結局のところ、工業化された産業経済では汚染を完全に除去することは実質上不可能であるし、また、そうすることは効率的でもない。汚染を完全に除去する費用のほうが、その便益に比べてはるかに大きいからである。現実の問題は、汚染をどの程度まで厳しく制限するかということである。そのためには限界便益と限界費用を比較検討しなくてはならない。これは直接規制では行うことができない。もし政府が、汚染の社会的限界費用を正しく算定し、それに対応して料金を課したり取引可能許可証を発行することができるならば、民間企業は、汚染防止の限界費用を汚染防止の社会的限界便益(それは汚染の限界費用に等しくなる)に等しくさせる水準まで汚染防止に努めようとするだろう。すなわち個々の企業が、正しい限界的インセンティブを持つに至るのである。
引用者註
インセンティブ(incentive):刺激(策)、動機、誘因


up!!★ジョセフ・E・スティグリッツ+カール・E・ウォルシュ『スティグリッツ マクロ経済学(第3版)』(原書1993, 1997, 2002年、薮下史郎/秋山太郎/蟻川靖浩/大阿久博/木立力/清野一治/宮田亮訳)、東洋経済新報社
全般的に見ると、過去100年間で持てるものと持たざるものの格差は縮小しなかった。なかには格差の縮小に成功した国もあるが、失敗して格差が広がった国もあった。政策の違いが決定的であったようである。成長を促進し、貧困を削減する政策を採用した国もある。しかし別の国では、成長を追い求める政策を採用したが、貧困の削減にはつながらなかった(貧困が悪化した国もある)。経済が停滞したり、経済状況が悪化した国もある。不幸なことだが、分析の結果から見ると、こうしたパターンは今後もつづくと考えられる。中国とインドは、インターネットと情報技術(IT)に代表されるニューエコノミーをうまく利用する準備ができており、先進工業国との差をさらに縮めようとしている。しかし、アフリカの場合は、そうした状況に至る潜在的可能性はまだまだ小さい。その一方で、アフリカでは生活水準が現在でもきわめて低いレベルにあるが、その水準さえもエイズと内戦の継続によって脅かされている。このような環境によって、外国からの投資を呼び込むことが困難になり、さらには国内の投資を誘発することさえ難しくしている。その結果、アフリカと世界の他の地域との格差はさらに広がる可能性がある。


★ジョセフ・E・スティグリッツ『人間が幸福になる経済とは何か 世界が90年代の失敗から学んだこと』(原書2003年、鈴木主税訳)、徳間書店
振り返ってみると、アメリカによる外国の経済政策運営はおよそ成功したとは思われない。われわれのバブル経済がアメリカ国内で崩壊の種を撒いたように、国外での政策は多数の問題を諸外国に引き起こす下地をつくった。九〇年代後半には、開発政策の失敗が、主にIMFを通じて発展途上国に押しつけられていたイデオロギーにたいする批判を招いた。各地でつぎつぎと危機が起こるにつれ、世界中で経済的な不安感が高まった。貿易交渉への不満とともに、アメリカは不公平だという感覚も生じた。この感覚は九〇年代を通じて大きくなる一方だったが、やがてそれだけではすまされなくなった。ブッシュ・ジュニア政権の一国主義は、海外にまた新たな怒りと反米感情を呼び起こした。問題は、世界の貧困層に利益をもたらすだけの力がグローバリゼーションにあるかどうかではない。もちろん、それだけの力はある。しかし、それには適切な運営が必要なのに、実際は適切に運営されていないのである。


up!!★ジョセフ・E・スティグリッツ+ブルース・グリーンワルド『新しい金融論−信用と情報の経済学−』(原書2003年、内藤純一・家森信善訳)、東京大学出版会
一般的に言って、途上国の財政政策は景気同調的(pro-cyclical)であると言える証拠がある。しかし、それは、途上国政府の官僚たちがマクロ経済政策の基礎を理解していないからではなく、むしろ、途上国には信用の制約があることが理由である。途上国経済が下降局面に入ると(そして、経済を刺激するために財政赤字をファイナンスする必要が生じるが)、民間の貸し手は資金の利用可能量を削減することになる。こうして、事実上、赤字を減らさざるを得なくなり、経済の下降に拍車をかける。金融政策ではこの影響を十分にカバーできないかもしれないが、重要なことは、金融当局がこの影響を認識した上で経済の見通しを立て、政策の全般的影響を推測することである。


★ジョセフ・E・スティグリッツ「スティグリッツ講義録」(原書2004年、藪下史郎・ 荒木一法編著『スティグリッツ早稲田大学講義録 グローバリゼーション再考』所収)、光文社新書
誰がIMFを運営しているのでしょうか。IMFの運営、その意思決定は基本的に理事会が行っています。また、最高意思決定機関である総務会は、主として加盟各国の財務相や中央銀行総裁がメンバーとなりますが、実質的には主に先進工業国の代表者が運営および意思決定を行っています。言い方を変えますと、IMFにおける投票権は、おおむね経済力に応じて配分されているのです。若干調整はされてきたものの、おおむねIMF設立時、すなわち一九四四年の経済力に基づいたシステムです。一九四四年当時、まだ多くの途上国が植民地でした。よって、そうした国はほとんど投票権を与えられませんでした。そして、ただ一国のみが拒否権を持っているのです。国連では五カ国しか拒否権を持っていませんが、そのことに日本など多くの国々が不満を持っています。こうしたことはすべて、歴史的経緯で決まったにすぎません。……IMFで唯一拒否権を持っている国は、G1と呼ばれていますが、それはアメリカ合衆国です。拒否権を持つ国があれば、当然その国の意向はIMFの意思決定に強く反映されるでしょう。しかし実態はもっと悪い。と言いますのは、反映されているのはアメリカ全体の意向ではないのです。アメリカ全体の意向であったならまだよかったのですが、実際に反映されてきたのはアメリカ財務省とウォール街の意向だったのです。


★ジョセフ・スティグリッツ+アンドリュー・チャールトン『フェアトレード 格差を生まない経済システム』(原書2005年、浦田秀次郎監訳・解説、高遠裕子訳)、日本経済新聞出版社
一九九九年十一月三〇日、新ラウンド立ち上げに向けて、シアトルでWTO閣僚会議が開催された。交渉は不調だったが、たちまち街頭での激しい抗議運動の陰に隠された。会議初日の午前五時から数百人の活動家が、会議場近くの人影のない通りに集まり、交差点を占拠した。日が上がり始めると、さまざまな方向からデモ隊が会議場に集結しはじめた。北から行進をはじめた学生グループは、南から来た途上国の市民と合流した。若干の暴動はあったものの、デモは集会や討論会、街頭パーティなどの形で平和裏に行なわれた。最低でも四万人と推計される規模は、経済と平等という世界的な問題に絡んだ過去のデモを上回っていた。もちろん、このデモが原因で、シアトルでのWTO閣僚会議の失敗に終わったわけではない。途上国の交渉担当者は、新ラウンドのアジェンダとして提示されたイシューに懐疑的であった。このアジェンダに含めるイシューで妥協すれば、その後の交渉で不利になると恐れていたのだ。だが、デモの影響は誇張されている場合が多いとはいえ、米国における反グローバル運動のさきがけとして、このときのデモの意味は大きかった。その後、二年間、反グローバル運動は勢いづき、メルボルン、プラハ、ワシントン、ジェノアでデモが起きた。豊かな市民と貧しい市民の格差が、突如として衝撃的な形で一般市民に意識されるようになった。世界的な抗議行動は、CAFOD(カトリック海外開発基金)やキリスト教エイド、オックスファムなどの市民社会組織や、開発重視のNGO(非政府組織)の行動主義の盛り上がりと軌を一にしていた。また、途上国の債務削減を目指したジュビリー二〇〇〇や世界社会フォーラムの設立など、代替的な開発イニシアチブや、一般的な社会運動に対する国際的な支援の盛り上がりとも合致していた。これらのグループは、世界的な貧困、不平等、途上国の経済的不安定を増大させるサイクルを断ち切るよう、世界的な政治・経済政策機関に強力な圧力をかけてきた。同時に、先進国は国際機関の枠組みのなかで、開発の問題を国際関係の中心に据えるという過去に例のないコミットメントを行なった。二〇〇〇年九月、ニューヨークで行なわれた国連ミレニアム・サミットで、世界の指導者たちは、MDGs(ミレニアム開発目標)を採択することで、世界的課題の根幹に貧困の根絶を据え、貧困、飢餓、病気、低識字率、環境破壊、女性差別を二〇一五年までに削減することを明確な目標に掲げた。これに引き続き、二〇〇二年三月にメキシコのモントレーで開かれた開発金融国際会議では、先進工業国が開発援助を約束した。二〇〇二年九月、ヨハネスブルクで開かれた持続可能な開発サミットは、今後数年間に、世界的に持続可能な開発を確実にする行動計画を立案することを目指した。これらの出来事はいずれも、途上国の衝撃的な貧困に対して、これまでにない集団としての責任意識と、世界的な集団的な行動の必要性の認識の高まりを示すものである。


★ジョセフ・E・スティグリッツ『世界に格差をバラ撒いたグローバリズムを正す』(原書2006年、楡井浩一訳)、徳間書店
貿易の自由化は各国を今まで以上のリスクにさらすだろう。しかし、途上国(および途上国の労働者)は先進国に比べ、リスクにたいする備えができていない。現在、欧米諸国の労働者たちは、激増する輸入品のせいで仕事を失うのではないかと心配している。とはいえ、先進国の労働者には、落下したときのための強力な安全ネットがある。彼らは義務教育を受けているので、比較的簡単に転職することができる。また、彼らは銀行口座をもっているので、解雇手当を振りこんでもらい、再就職までのつなぎに当てることができる。一方、途上国の労働者には頼るべきネットなどない。たとえ貿易の自由化で輸出入が増えたとしても、全員が勝ち組に入れるわけではない。貿易自由化の理論(完全市場の存在を前提とし、自由化が公平であると仮定する)が保証するのは、総体としての国が恩恵を受けるという点だけだ。理論は負け組の出現も予測している。原理上、勝者が敗者に補填を行なうことは可能だが、実際には、補填が行なわれる可能性はゼロに近い。もしすべての利益が少数の上流階層に集中するなら、貿易の自由化は貧者だらけの富裕国をつくり出す結果を招き、このバランスの悪い国では、中流層までが生活苦にあえぐことになるだろう。このように、自由化がうまく管理されず、大半の市民の暮らしむきが悪化した場合、自由化が支持される理由はどこにもなくなる。世界の現状を正確に捉える市民たちの反対運動は、既得権を失う特定集団の反対運動より格段に深刻なのだ。


★ジョセフ・E・スティグリッツ『スティグリッツ教授の経済教室−グローバル経済のトピックスを読み解く』(原書2007年、藪下史郎監訳・藤井清美訳)、ダイヤモンド社
大量破壊兵器はなかったという証拠だけでなく、米英両国の政府がニセの情報や歪曲された情報、さらには誤解に導くような情報を流したという証拠も山ほど出てきている。また、イラクとアルカイダのつながりは−少なくとも戦争前は−ほとんどなかったという証拠も歴然としている。つまり、討議民主主義−ひとりよがりの無謀な行動を防ぐための、おそらくは最も重要な安全装置−は、国連では機能したが、アメリカでは機能しなかったということだ。残念ながら国連は、アメリカとそれに追随する国々がほぼ確実に国際法違反となる行動を取るのを阻止できなかったのである。その後の展開は周知のとおりだ。大量破壊兵器が見つからないとわかると、アメリカとその少数の(しかもさらに減りつつある)「有志連合」諸国は、新しい理屈を持ち出してきた。「民主主義のための戦い」という理屈である。だが、それが目的だったのなら、民主化の必要な国々をすべてリストアップすべきだったし、イラクがそのリストのトップにきていたとも思えない。おまけに、抑圧的な独裁体制を民主的な体制に変えるということは、国連のマンデートを大幅に拡大するということであり、アメリカが常々唱えていることと正反対の動きである。さらに重要な点を指摘すると、国連での民主的プロセスを否認することは、「民主化プロジェクト」とされているものにとって決してよい兆しではなかった。アメリカは、国連で出される結論が自国の望みどおりである場合に限り、その結論に従うという姿勢を明確にしていた。決定は特定メンバーの意向どおりでなければならないとするのは独裁であり、この原則の下で活動できる民主的な機関はありえない。その後の展開は、他国に安定した民主的な体制を押し付けることが−世界最強の国にとってさえ−どれほど難しいかを実証している。
引用者註
マンデート(mandate):機能、委託


★ジョセフ・E・スティグリッツ+リンダ・ビルムズ『世界を不幸にするアメリカの戦争経済 イラク戦費3兆ドルの衝撃』(原書2008年、楡井浩一訳)、徳間書店
イラク戦争の真の犠牲者数を理解するには、“アメリカ軍侵攻後”のイラク人の死亡率を見ておく必要がある。死亡率の変化にかんしては、すでに確立された研究手法が存在しており、実際にジョンズホプキンズ大学のグループがこの手法で調査を行っている。サンプルとなる複数の村を科学的に選び出し、戦争の前後で死亡率を比較するのだが、ここで使われるサンプリング方法は、選挙時の世論調査とまったく同じものだ。世論調査の場合、一〇〇〇件のサンプルがあれば、選挙結果をかなりの高確率で予測でき、アメリカのような大国でも、誤差範囲はたいてい三パーセント以内におさまる。ジョンズホプキンズ大学の調査は、さらに多くのサンプル(一八四九世帯を構成する一万二八〇一人のイラク人)を扱っており、現実の死亡例を確認する必要があるので、非常に長い調査期間を設定している。調査チームは二〇〇六年七月の時点で、死者の増加分を六五万四九六五人と発表した。これ以降、犠牲者の発生ペースは上昇してきたが、調査発表どおりの死亡率が二〇一〇年三月まで続くと仮定すると、イラク人犠牲者の総数は一〇〇万人を超えることとなる。先に述べたように、重傷者の数を示す公式記録は存在しない。しかし、死亡率と重傷者の比率を控えめに一対二と見積もれば、二〇〇万人以上という重傷者の総数が弾き出される。イラク市民の命をドル換算することも、できれば最後まで避けて通りたかったが、イラク人とアメリカ人の命を同等とみなすと、イラク人犠牲者の総コストは八兆六〇〇〇億ドル以上。これは、今までに計算したどのコストよりも大きな数字だ。戦争による人口減が経済を悪化させるというしくみは、アメリカでもイラクでも変わりはない。ただし、死者数があまりに多くなりすぎると、社会の弱体化は等差審級的ではなく幾何級数的に進んでいく。ここでは“反事実的”な検証が有効だろう。