Paul Virilio(1932〜)

up!!★ポール・ヴィリリオ『速度と政治−地政学から時政学へ』(原書1977年、市田良彦訳)、平凡社ライブラリー
時間における収縮、領土空間の消滅。要塞都市と装甲板はすでに消えている。この収縮、この消滅によって、前と後の観念は未来と過去しか表さなくなった。「現在」が決定の瞬間性の中に消えて行こうとする戦争形態における、未来と過去しか。それゆえ、最後に残された能力は想像力というより予想の能力であろう。統治はもはや、予測し、シミュレートし、シミュレーションを記憶することでしかないのである。


up!!★ポール・ヴィリリオ 『民衆防衛とエコロジー闘争』(原書1978年、河村一郎・澤里岳史訳)、月曜社
《純粋戦争》、それは平和でもなければ戦争でもない。かつてそう思われていたような、「全面」戦争や「全体」戦争でもない。それは、日常のなかに永続する軍事的審級そのものなのだ。恐怖の均衡、核兵器同盟、平和共存。つまりは、戦争状態の解消と、日常生活の諸々の挙措のなかへの軍事的なものの浸透であって、そこでは狩猟者の変容が辿り直されるのである。


up!!★ポール・ヴィリリオ+シルヴェール・トロランジェ『純粋戦争』(原書1983年、細川周平訳)、UPU
私は極限界において無意識は純粋戦争の標的であると言いたい。私たちは速度に囚われているのです。ですから、偶発性(事故)の無意識は私をとても脅かすのです。偶発的なものではなく実質的なものに関心があるという人に対して、私はこう答えたい。それは対象の実質の死に関心がないことであり、その対象を意識していないことである、と。……ですから実際には私たちが実質であり、偶発的なものとは死なのです。テクノロジー的対象でもそれは言えます。その事故とは、私たちがそれに対して持っている意識のことなのですから。事故を意識しないのならば、そのモノを意識しないことになります。つまり、テクノロジーの危機を。


up!!★ポール・ヴィリリオ『戦争と映画T−知覚の兵站術』(原書1984年、石井直志+千葉文夫訳)、平凡社ライブラリー
戦争は、人の眼を欺く見せ物と切り離せない。こうした見せ物を作りだすこと自体が戦争の目的であるからだ。敵を倒すというのは、相手を捕らえるよりもむしろ相手を威圧することであり、死の手前にあって相手に死の恐怖を体験させることなのである。……それゆえ演技行動を欠いた戦争などありえないし、心理的欺きに無縁な精密兵器などもない。兵器はただ単なる破壊装置であるばかりでなく、視覚の装置でもあるのだ。換言するならば、それは感覚器官や中枢神経組織のレベルで生じる化学的現象ないし神経学的現象によって存在があらわになる刺激装置であり、知覚対象への反応、その識別、あるいは他の物体との差異の認識などに影響を及ぼすものなのである。


up!!★ポール・ヴィリリオ『瞬間の君臨−リアルタイム世界の構造と人間社会の行方』(原書1990年、土屋進訳)、新評論
時間が歴史だとすれば、速度は歴史の幻覚にすぎない。言い換えれば、速度は全ての空間的な広がりと時間的な秩序を崩壊させる透視幻覚と言えるだろう。それは、オーディオ・ヴィジュエルという乗り物が動力となる運動効果=映像エネルギーの徹底的な利用から生まれる時空幻覚だ。かつては、動く乗り物や自動の乗り物が運動エネルギーとしてそれ以前のものを追いやったように、今後最終的には、合成イメージ[運動効果=映像エネルギー]が一九世紀に発明された運動エネルギーに取って代わるだろう。もはや現実の姿を信用することは止めにしよう。もはや三次元は広がりの基準ではなく、立体感は現実ではない。現実は、テレビ化されたさまざまな平板なイメージや表象の中に隠れている。


up!!★ポール・ヴィリリオ『情報エネルギー化社会−現実空間の解体と速度が作り出す空間』(原書1993年、土屋進訳)、新評論
映像と音のデジタル時代に入った現在、それらが持つ「高品位」性[高度な情報密度]を思い起こしてみよう。位置エネルギーや運動エネルギーとともに、私たちは今や情報エネルギーという第三のエネルギー形態を使うようになった。場所を移動する時、昔はいつも出発、移動、到着という三つの局面があったはずだ。しかし物理的な「移動」が衰退した結果、それと同時に「出発」も消失してしまった。以来、出発する必要のない到着だけが存在するようになった。しかも私たちのもとに「到着」するのは、もはや短期滞在地や目的地ではない。情報や情報世界が、いやそれどころか情報宇宙が到着するのだ! あらゆる所へ情報が到着するようになり、リアルタイムで情報がどんどん移動するようになる。そしてそのすべてが人間に殺到し、標的となった人間はあらゆる方向からそれらに攻撃され、もはや救済は幻想の中でしか見出すことができなくなる。自由意志のない瞬時の現実を前にして、もはや逃亡以外に救済の道はない。


up!!★ポール・ヴィリリオ『電脳世界−最悪のシナリオへの対応−』(原書1996年、本間邦雄訳)、産業図書
遠隔=電波的現前の問題は、身体の配置、位置づけを限定できないものにします。ヴァーチャル・リアリティの問題のすべては、本質的に言って、ここで、今を否定すること、「今」のために「ここ」を否定することにあります。……遠隔=電波的現前を引き起こすテクノロジーの速度は、ヴァーチャルな身体にたいする節度のない愛のために、つまり「奇妙な小窓」の中に、「ヴァーチャル・リアリティの空間」の中に現われるその幽霊にたいする節度のない愛のために、私たちの固有の身体を決定的に失わせるように仕向けています。そこに、他者の喪失という見過ごせない脅威が、非物質的で幽霊的な現前のために、物質的現前が凋落するという見過ごせない脅威があるのです。


up!!★ポール・ヴィリリオ『情報化爆弾』(原書1998年、丸岡高弘訳)、産業図書
核爆弾が設置され、全世界的な核抑止体制が四〇年間つづいた後、このようにして情報化爆弾が爆発した。このような新しい爆弾の存在が明らかになった以上、新しいタイプの抑止体制を早急に設置しなければならない。これはシステムに参加しているもの自身がおこなう抑止になるだろう。つまり、「自動遮断機」を設置して諸国家の社会的核の加熱や、さらには核分裂を避ける。電気通信技術によってリアル・タイムで世界中に情報が伝達できるようになった。インターネットはそうした技術のなかのひとつの野蛮なモデルにすぎない。しかしこの情報革命は同時にシステマティックな密告の革命でもある。それは噂とか疑惑などのパニックめいた現象を誘発し、「真理」についての職業倫理的基盤を、ひいては報道の自由の基礎を破壊しかねない。


up!!★ポール・ヴィリリオ『幻滅への戦略−グローバル情報支配と警察化する戦争』(原書1999年、河村一郎訳)、青土社
対イラク戦で実現された電子戦electronic warfareに続けて、合衆国は、情報戦information warfareを開始するに至ったわけである。このシステムの実効性は、各国領土上空への人工衛星の恒常的配備、収集された情報のリアルタイムでの伝達、そして、各参謀部に伝達されたデータの迅速な解析能力という三つの基本原理に基づく。現在、バルカン上空には、約五十基のあらゆる種類の人工衛星が周回し、約二十種の様々な宇宙システムが張り巡らされている。国家偵察局(NRO)のレーダー画像衛星や、各軍の光学画像衛星。電磁的信号を検出して地上軍の動きを探知する監視衛星についてはいうまでもない。移動中の部隊に現在位置を知らせる《全地球測位システム》(GPS)衛星群ももちろんである。……この文字通り《パノプティコン的》な視覚がなければ、バルカン紛争においても、戦場区域一帯の包囲だとか、砲撃なり戦闘爆撃機の《絨毯爆撃》なりによる敵の封じ込めだとかといった往年の戦略を繰り返さざるをえなかったはずだ。
引用者註
1999年のコソヴォ戦争への時事的介入として書かれた論考集。したがって対イラク戦とは湾岸戦争を指す。
なおケイタイで使われる《全地球測位システム》(GPS)は、軍事開発されたテクノロジーを民需に転用したものである。


up!!★ポール・ヴィリリオ『自殺へ向かう世界』(原書2002年、青山勝・多賀健太郎訳)、NTT出版
「無が現実となるとき、現実もまた無に転化する」とかつての戦略家は語っていた。したがって、世界でいま現実に口にされているさまざまな拡張主義的言辞の意味は、次の、しばしば無視されてきた事実を執拗に参照しつづけなければほとんど何も理解できないであろう。すなわち、どんなテクノロジーもその最盛期には新たな力の場=戦場(champ de force)を自称するという事実である。あちこちで超国家的なテロリズムという……暗黒国家が不安を掻き立てているのは、この暗黒国家がテクノサイエンス的進歩……にますます従属していっているためである。科学的な想像世界は、結局のところe=テインメント〔電子娯楽〕と同じ命運を辿ることになる。それは、二〇〇一年九月一一日の世界貿易センターのテロ事件を、どこにでもあるようなパニック映画のひとつにすぎないと思ってしまったテレビ視聴者や、さらには世界的超大作映画に出演できたことを幸福に思いながら死んでいったに違いないイスラムの特攻隊の命運にも重なっていく。こうした「映画」において、現実はこれを最後に、電子的な無に転化するのである。


up!!★ポール・ヴィリリオ『アクシデント−事故と文明』(原書2005年、小林正巳訳)、青土社
今日では、グローバリゼーションとその都市攻囲術的締め出しとが地球的規模で拡大している。しかし、こうした全域的な包囲と同時に出現するのは、もはや囲い地やその巨大な城塞ではなく……何よりもまず、事故や大惨事やあの「大量テロ」などのリズムに合わせて絶えず拡大していくパニック……の途轍もない広がりなのである。こうした大量テロは、ハイパーテロリズムの出現というより、ポスト・クラウゼヴィッツ的なハイパー戦争−戦闘に関しては国家的国際的政治データを超越する類のもの−の出現を物語るものだ。このような現実時間(リアルタイム)の突然の世界化は、戦略、つまり地球戦略……に衝撃を与える一方、軍の首脳部のみならず民主的に選出された政治的責任者に対しても、出し抜けにまた別の暴政を、すなわち瞬時性と遍在性の暴政をつきつける。実際、戦争は、大量戦争やエネルギー戦争(核戦争など……)に次いで、現在では第三のレベル、すなわち(ほとんど)瞬時に行われる情報化戦争というレベルにまで達している。